2016年 10月 27日
スポーツに携わる人々の驕り?・・・2016年10月26日
2020年東京オリンピックの施設建設で、新たらしい東京都知事がその建設費用についての妥当性を検証しています。
たとえばボート・カヌーの会場と目されている「海の森水上競技場」の建設・整備費が、招致要請の時点では「69億円」だったのに、招致が決まったとたんに「1,038億円」と 969億円の増にもなっています。
たしかに要請時の試算には付帯設備の費用まで入れる必要は無いと言われているようですが、それにしても招致当初予算の15倍になるとは恐れ入ります。新都知事が介入して、ああ~だ・こう~だとなって、最近の見直しでは「300億円」程度とまで下がってきています。
このような、でたらめに近い数字を直す(あるいは場所替え)ことは、とりもなおさず税金の無駄使いを無くすと言うことに外なりません。
この見直し行為に対して「スポーツ界に属する」人々は異を唱えています。そりゃ誰だって新しい立派な設備で、大勢の観客の声援を受けたいのは山々でしょう。
スポーツ界のトップに君臨する人が言っています。
「東京五輪で、新たなスポーツ施設を作るのは、お金のことばかりでなく、重要なのは心の問題だ」と・・・・
スポーツの重要さ、オリンピックの果たす役割の大きさは誰もが知っています。
だからと言って、身を粉にして納める税金を「でたらめな試算」で使って欲しくはないのです。(東京都の待機児童問題だって、いまだに解決していません。ほんのわずかな金額を支出すれば済むことなのですが・・・)
スポーツ界の人々がそれほど言うならば、自分たちだけで資金を調達して施設を作ったらよろしいのでは? と文句の一つも言いたくなる「スポーツ界の驕り加減」が聞こえて来るのです。
「東京五輪は錦の御旗」ではありません。