2017年 07月 04日
六月の旅から・・・2017年7月4日
③・・・新装なった「小田原城」を見学
小田原の街はその昔、箱根や伊豆半島へ行くのに、車や電車で何度も通っていました。そのたびに「名物かまぼこ」をお土産にしたものです。
ですが、どうしたものか「小田原城」をしっかりと観たことが無かったのです。
「小田原と後北条氏」の歴史については、若いころから関心を持っていました。司馬遼太郎の「箱根の坂」を読んで以来のことかもしれません。最近では伊東 潤の「黎明に起つ」を読んで、またまた眠っていた「小田原への関心」が目を覚ましてきたような気がしたのです。
情報から「小田原城の平成の大改修」が終わって、リニュアール公開されたことを知りました。で、このたびの旅を利用して訪れることにしたのです。
在京の友達も同行を快く承知してくれて、またまた東京駅から東海道本線の、ほぼ各駅停車の電車で出かけました。
小田原は、京都から駿河の今川家へやって来た「伊勢新九郎」が、知略で伊豆地方を従え、続いて箱根の坂を越えて「相模の国」を制覇してその居城としたことから栄てきました。
伊豆や相模の国を支配した「北条宗瑞(早雲)」は、足利幕府の混乱がもたらす「応仁の乱」を乗り越え、新しい国づくりをするために「戦国の世の幕」を切って落とした先駆けの武将となりました。
早雲から3代目までは名君として領国を守って来ましたが、4代氏政の時代の流れを読めない蒙昧さで、その子5代氏直の時に「豊臣秀吉」に滅ぼされてしまいました。
その後徳川家の支配下に入り、明治3年に廃城となった小田原城です。
ですが昭和9年頃から、隅櫓が再建されたりして、昭和35年5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興されました。
復興から既に50年以上が経過しており、耐震診断の結果、今後継続的に使用するためには耐震補強が必要であるとされたことから、来館者の安全確保のため平成27年7月から平成28年4月にかけて「平成の大修理工事」を行いました。
リニュアールされた天守閣の外観は、なにか白々として、内部の階段も登り易くてありがたいのですが、どうも古城という感じが失せたような気がするのです。
各階層に展示された「北条5代の歴史展示物」も見やすいのですが、あまりにも多すぎて一日ではゆっくりと鑑賞できないほどのものです。
小雨が降ってきたお堀端を歩き、「北条5代の末路」や「大久保忠隣(ただちか)」の悲劇を頭に描きながら小田原駅に戻り、帰路についたところです。
<城の再建、修理などの記事は、地元の情報を引用させていただきました>
姫路城もそうですが、あまり白さが目立って歴史がどこかに行ってしまってますね。
でも、本来の築城当時の木材での再建要望運動が起こっています(苦笑)
観てきました・・・きれいすぎて「古城」の感じがありませんでしたが、これはこれでよろしいのでは、と思いました。