2018年 04月 23日
「横山大観展」を観てきました・・・2018年4月23日
友人が所属している絵画の団体の、恒例の「作品発表会」が六本木の「国立新美術館」で開催されています。友人の絵は毎回「入選作」として展示され、私たち友人は誘い合って鑑賞しています。今年も4月20日の午後からが「鑑賞の日」となりました。久しぶりの「ヒルズの風」に吹かれながらの楽しいひと時を過ごしてきたのです。
せっかくの上京ですから、この機会にと想いたち竹橋の「東京国立近代美術館」で開催されています『生誕150年・横山大観展』も観てきました。
1968年(明治元年)、水戸に生まれた大観は、1889年(明治22年)に<東京美術学校>1期生として入学、岡倉天心や橋本雅邦に師事しました。同期生には菱田春草、下村観山、西郷孤月などがいます。
1896年(明治29年)母校・東京美術学校の助教授に就任しますが、2年後に当時校長だった岡倉天心への排斥運動が起こり天心が失脚。天心を師と仰ぐ大観はこれに従って助教授職を辞し、同年の日本美術院創設に参加しました。
美術院の活動の中で、新たな画風の研究を重ね、やがて線描を大胆に抑えた没線描法の絵画(「朦朧体」という呼称)を次々に発表しますが・・・・しかしその先進的な画風は当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びることになります。
大観は春草と共に海外に渡り、インドやアメリカで相次いで展覧会を開き高い評価を得ます。その後ヨーロッパに渡りロンドン、ベルリン、パリでも展覧会を開き、ここでも高い評価を受けました。
1935年(昭和10年)には帝国美術院会員となり、1937年(昭和12年)には、この年制定された第1回文化勲章の受章者となりました。同年帝国芸術院会員にもなるのです。
大観は1958年(昭和33年)2月26日、東京都台東区にある自宅にて89歳で永眠した。氏の脳は現在もアルコール漬けにされた状態で、東京大学医学部に保管されているそうです。
このたびの展示会場のトップには大作の「屈原」が飾られ、大観がまだ世に容れられなかった時代の「無念さと、曲げることの無い信念を通す」想いがひしひしと伝わってきます。
このたびの展覧会の超目玉ともいうべき、40mにも及ぶ日本一長い画巻『生生流転』は、鑑賞者も長々と連なり、ただただ感動に浸っていました。私も、まさにその中の一人に過ぎなかったのです。
<画像は借用のものです>
スキンが変わりましたね。大観の投稿と会いますね!!
おはようございます。お立ち寄りありがとうございます。
はいっ! この21日に、庭の雪もようやく溶け終って、もう少しでサクラも咲きそうですから、一足早くサクラの雰囲気を味わおうと思いまして・・・。
六本木は大きく変化していますね。昨年末に同じく国立新美術館へ足を運び、ついでにミッドタウンで遊んできました(笑)
島根県の足立美術館で、横山大観氏の作品をたっぷり見たこと思い出しました~~♪